
代表者経歴
高尾 真人
小学校4年から本格的にサッカーを始め、ジェフ市原(現ジェフ千葉)ユース、専修大学で選手生活を送る。大学生活の4年間、川崎フロンターレのスクールコーチとして活動。
2007年より約2年間ナナイモのバンクーバーアイランドユニバーシティ(VIU)に留学しMBAを取得。経営学基礎とダイバーシティ人材とのコミュニケーション形成を学ぶ。留学中にバンクーバーアイランド内の社会人リーグにてプレー。
卒業後、川崎フロンターレで7年間事業部門にて勤務。興行試合の運営及びサッカーに携わるファンイベントの企画運営をしていく中で、サッカー界及び他業種との人脈を形成する。
2017年川崎フロンターレ を退社すると同時にスポーツ留学斡旋会社 株式会社A toを設立。2018年1月より家族でビクトリアに移住し、2019年末にカナダ永住権を取得。カナダでの法人JP Sports Clinicを設立、現在に至る。
東京オリンピックパラリンピック2020大会ではVenue Media Managerとして携わる。
日々、日本とカナダのスポーツの架け橋になる為に奔走中。

顧問
高橋 和之
顧問 高橋和之(日本女子体育大学名誉教授・元学長)
私はユニバーシアード日本女子バレーボール監督時代に数々の海外遠征を経験しました。その折にコミュニケーションツールとして自分の語学力不足を痛感しました。また逆に同行した学生(選手)達が同じスポーツのつながりを持つ仲間同士、難なく言葉の壁を越えて行く様を羨ましく見ていました。
この「株式会社 A to」の理念がまさにそれです。その理念に強く共感しています。留学先の国がカナダであると聞き、微力ながら私のカナダでの経験や人脈などが一助になればと思っております。
このグローバルな時代に必要なことは、人間力のアップだと思います。日本人としての誇りを持ち、物怖じせず堂々と世界を渡り歩いてくださることを皆さん方に期待しております。勇気を持ってチャレンジしましょう!
昭和21年2月14日生
昭和43年3月 東京教育大学体育学部卒業
日本女子体育大学学長(平成20年~22年)
現在日本女子体育大学名誉教授
《バレーボール指導暦》
ユニバーシアード日本女子代表監督として
- 1979年メキシコ大会2位
- 1981年ルーマニア・ブカレスト大会5位
- 1983年カナダ・エドモントン大会3位
- 1987年旧ユーゴスラビア・ザグレブ大会10位
- 1997年イタリア・シチリア大会3位
日本女子体育大学バレーボール部監督・指導者として
昭和45年以降
- 関東大学女子一部優勝7回
- 全日本大学女子選手権大会優勝2回
《主な著書》
- 「バレーボールの指導」
- 「バレーボールの教科指導」
- 「バレーボールのゲームづくり」
- 他 中学校体育実技関連書執筆
《カナダでの大学間交流》
1984年以降の交流大学
サスカチュワン大学、アルバータ大学、リジャイナ大学 、UBC、ウイニペグ大学、カルガリー大学 他

顧問
高橋 和之
昭和21年2月14日生
昭和43年3月 東京教育大学体育学部卒業
日本女子体育大学学長(平成20年~22年)
現在日本女子体育大学名誉教授
《バレーボール指導暦》
ユニバーシアード日本女子代表監督として
- 1979年メキシコ大会2位
- 1981年ルーマニア・ブカレスト大会5位
- 1983年カナダ・エドモントン大会3位
- 1987年旧ユーゴスラビア・ザグレブ大会10位
- 1997年イタリア・シチリア大会3位
日本女子体育大学バレーボール部監督・指導者として
昭和45年以降
- 関東大学女子一部優勝7回
- 全日本大学女子選手権大会優勝2回
《主な著書》
- 「バレーボールの指導」
- 「バレーボールの教科指導」
- 「バレーボールのゲームづくり」
- 他 中学校体育実技関連書執筆
《カナダでの大学間交流》
1984年以降の交流大学
サスカチュワン大学、アルバータ大学、リジャイナ大学 、UBC、ウイニペグ大学、カルガリー大学 他
【コメント】
私はユニバーシアード日本女子バレーボール監督時代に数々の海外遠征を経験しました。その折にコミュニケーションツールとして自分の語学力不足を痛感しました。また逆に同行した学生(選手)達が同じスポーツのつながりを持つ仲間同士、難なく言葉の壁を越えて行く様を羨ましく見ていました。
この「株式会社 A to」の理念がまさにそれです。その理念に強く共感しています。留学先の国がカナダであると聞き、微力ながら私のカナダでの経験や人脈などが一助になればと思っております。
このグローバルな時代に必要なことは、人間力のアップだと思います。日本人としての誇りを持ち、物怖じせず堂々と世界を渡り歩いてくださることを皆さん方に期待しております。勇気を持ってチャレンジしましょう!
創業動機
一方、日本のサッカー界全体の課題として、サッカー選手人口が飽和しており、プロサッカーリーグのJリーガーについても戦力外通告を受けた選手へのケアという点が何もされていない現状があることを痛感。
そのような日本の選手のセカンドキャリアを見据えた上でカナダサッカー界に供給することで、カナダサッカー界の発展および、日本サッカー選手のセカンドキャリアの形成という、両面において寄与できる事業が成り立ち貢献できるのではないかと考え、創業を決意する。